選挙のたびに、新しい顔ぶれがメディアを賑わせます。「若さ」「情熱」「クリーンなイメージ」。これらは一見、政治の世界に新しい風を吹き込むように見えます。
しかし、いざ蓋を開けてみると、候補者の不祥事や実務能力の欠如に落胆する……というサイクルを、私たちは何度繰り返してきたでしょうか。
なぜ、政治家の候補者選定はこれほどまでに難しいのか。それは「政治家としての資質」の定義が、あまりに表面的な要素にすり替えられているからです。
1. 「弁が立つ人」を選んでしまうという罠
候補者選定において、私たちが最も陥りやすい罠は、「弁の立つ人」を「能力のある人」と見誤ることです。
- プレゼンスの高さに騙される: 人前で堂々と話し、耳障りの良い理想を語る姿は、有権者に「この人なら変えてくれる」という錯覚を与えます。
- 「口の巧さ」と「実務」の乖離: しかし、論理的に相手を論破することと、複雑な利害関係を調整して物事を進めることは、全く別のスキルです。
弁が立つだけの候補者は、当選後に官僚との実務交渉に直面した際、中身のない批判を繰り返すか、あるいはロジックの差に圧倒されて沈黙するかのどちらかに陥りがちです。
2. 「やる気」は前提であって、資格ではない
同じように、「やる気がある」「若い」といった要素も、過大評価されがちです。
しかし、政治家は「なってから学ぶ」育成枠ではありません。国会議員の本分は、立法府の構成員として法律という社会のルールを書き換え、官僚機構を動かすことです。
やる気や若さは、あくまでエンジンを動かすための「燃料」に過ぎません。その中身となる「実務を動かすための構造」が身についていない人を国会に送り出すのは、設計図を持たずに巨大なビルを建てさせるようなものです。
3. 私たちが候補者に求めるべき「3つの実装経験」
完璧な人間はいなくても、「代えのきかない基礎部分」を持っている人はいます。人柄や将来性を評価する「前段階」として、以下の3つの実戦経験は必須条件であるべきです。
- 組織中枢でのガバナンス(統治)経験 単に組織に属していただけでなく、中枢でルールを作り、不祥事やトラブルの際に「責任を取る」立場を経験したか。この経験がない人は、いざ自分が批判された時に組織を守る動きができず、自滅します。
- 官僚との「実戦」交渉経験 「交渉できそうな雰囲気」ではなく、実際に予算や法案を巡って、行政の論理と対等に渡り合い、着地点を見出した実績があるか。この実戦経験がない議員は、官僚が用意した説明資料を読み上げるだけの「拡声器」に成り下がります。
- 専門分野における「現場」の解像度 立法府に身を置く以上、法律の最低限の知識は「免許」のようなものです。その上で、特定の分野においてプロフェッショナルと対等に議論できる「現場の肌感覚」があるか。これがない言葉には、人を動かす力が宿りません。
結論:人柄や伸びしろは「実務」の裏付けがあってこそ
もちろん、人柄や、時代の変化に適応する「伸びしろ」は大切です。しかし、それは「組織を動かす力」や「交渉する力」という土台が備わっていることが大前提です。
社会経験も乏しく、組織を動かした経験もない。そんな人が「やる気」や「口の巧さ」だけで国を動かせると考えるのは、極めてリスクの高い「欠陥」を放置するのと同じです。
候補者選定が難しいのは、この「実戦経験」という目に見えにくい本質を見抜くのに、多大なコストがかかるからです。しかし、ここをショートカットしたツケは、最終的に有権者である私たちが払うことになります。
今、政治に必要なのは、耳障りの良い「期待感」ではなく、裏付けのある「実装力」なのです。




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