2025年10月の宮城県知事選挙。現職の村井嘉浩氏が6選を果たしたものの、そのプロセスは「勝利」という結果とは裏腹に、極めて多くの禍根を残すものとなりました。
世間では「SNS上のデマが選挙を壊した」あるいは「村井氏がSNSを活用していなかったから苦戦した」といった、ツールの有無や情報の正誤に矮小化した議論が散見されます。しかし、真の問題はそこではありません。本質的なミスは、「行政が握っている不都合な事実」と「有権者が抱く将来への不安(予測)」を、ひとまとめにして『デマ』と断罪したコミュニケーションの姿勢にあります。
これは、政治家が「説明責任」という言葉をどう捉えているかに関わる、根深い問題です。
参考:宮城県知事選挙 2000人アンケート➁~偽・誤情報はどれくらい拡散したのか~ #645 | 研究員の視点 | NHK放送文化研究所
1. 「検討」という事実は、デマではない
今回の選挙戦で最大の火種となった「水道事業の運営権」と「土葬墓地の設置」について、村井知事側は一貫して「100%デマだ」「売却などしていない」と強い口調で反論しました。
たしかに、「所有権を外資に売った」や「土葬場が県内全域にできる」といった極端な言説は、現時点での法的な事実(Fact)とは異なります。しかし、ここには巧妙な論点のすり替えがあります。
水道事業において、現場の実務を担う会社の51%を外資(ヴェオリア社)が握っているのは動かしがたい事実です。また、土葬墓地についても、県が事務レベルで設置に向けた調査・検討を行っていたことは議会答弁でも明らかでした。
これらを指摘する声を「デマ」と一括りにすることは、「現在進行形で進んでいる行政のプロセス」そのものを無かったことにする行為です。有権者が感じた「知事は嘘をついている」という直感的な不信感は、情報の正誤以前に、こうした「事実の一部を隠蔽して全体を否定する」不誠実な説明スタンスに起因しています。
2. 「将来予測」は断罪の対象ではない
コミュニケーションにおける致命的なミスは、有権者の「将来への不安」を「デマ」というカテゴリーに放り込んでしまったことです。
「外資が実務を握れば、20年後には県にノウハウが残らず、言いなりになるのではないか?」 「一度土葬を認めれば、なし崩し的に拡大するのではないか?」
これらは、現時点での「正解」が存在しない将来予測です。
本来、政治家がすべきことは、この不確実な予測に対して「どのような対策(ガバナンス)を講じているか」を論理的に説明し、リスクを認めた上で納得を得ることです。
しかし、村井知事は「そんな計画はない」「デマだ」と、将来の可能性を現在のゼロ回答で封じ込めようとしました。予測は検証不能だからこそ、それを否定することは「対話の拒絶」と同義です。不安を抱く人々を「デマに踊らされた人々」と見なす傲慢さが、有権者の反発を招くのは必然でした。
3. 「選挙のための撤回」という最大の不誠実
土葬墓地の設置検討を、選挙直前の9月に突然「白紙撤回」したことは、戦略としては有効だったかもしれません。しかし、コミュニケーションとしては最悪の一手でした。
「市町村の同意が得られないから止める」という理由は、一見論理的に見えますが、タイミングがあまりに政治的すぎました。これは有権者の目には、「議論を深めることを避け、当選のために争点を物理的に消去した」と映ります。
本来、丁寧な説明を旨とするならば、「課題は多いが、多文化共生の観点から解決策を模索し続ける」と語るか、あるいは「時期尚早である理由」を時間をかけて説明すべきでした。それを瞬時に切り捨てて「もうこの話は終わり。だから批判はデマだ」と強弁する姿勢は、行政の継続性や一貫性を自ら否定するものです。
また、埋葬の許可は各市町村にあり知事の一言では進まないプロセスになっていることも説明すべきだったでしょう。
4. 武器としての「デマ」という言葉の危うさ
村井知事側が多用した「デマ」という言葉は、もはや情報の修正を目的としたものではなく、反対派を社会的に排除するための「武器」として使ってしまいました。
「デマを流す勢力」というレッテルを貼ることで、彼らが発する「外資への依存リスク」や「地域住民の合意形成」といった正当な問いまでをも、公的な議論の場から追い出したのです。
しかし、マーケティングの視点で見れば、これは極めてリスクの高い手法です。ブランド(政治家)が顧客(有権者)の不安を「間違い」だと否定し始めれば、そのブランドは「共感」を失い、単なる「権威」へと堕落します。
5. 結論:求められるのは「透明性」と「不確実性への誠実さ」
今回の宮城県知事選が残した教訓は、「SNS対策を強化せよ」というレベルの話ではありません。
政治家に求められているのは、以下の3点に集約される新しいコミュニケーション・モデルです。
- 事実の切り分け: 不都合な事実であっても、まずは認め、その上で解釈を提示すること。
- リスクの共有: 「絶対安全」や「100%デマ」という極端な言葉を捨て、将来のリスクをどう管理するかというプロセス(手続き)を語ること。
- 対話の継続: 選挙に勝つために争点を消すのではなく、異論を持つ人々と「共通の事実(Common Ground)」をどこまで作れるかに注力すること。
村井知事の説明が「下手」だったのは、彼が「正解」だけを押し通そうとしたからです。複雑な現代社会において、100%の正解など存在しません。必要なのは、外資の実務参入という「相応の決断」が孕むリスクを正面から認め、それに対する重層的な監視体制を自ら説き続ける、粘り強い説明責任だったはずです。
「デマ」という便利な盾の後ろに隠れる政治は、いずれその盾を突き破るほどの不信感によって、自らを追い詰めることになるでしょう。
#政治マーケティング
#リスクコミュニケーション




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